ライブドアショックとやらについて思うこと(思っていたこと)


ここ最近、ライブドアショックとやらがニュースを賑わしていて、成り行きが気になって
頻繁にニュースをチェックする日々を送っている。
考えていることを、徒然なるままに記してみようと思う。
(後で自分で読み返すと思い出して考えられることも多いと思うし。)
私が実際にライブドアという会社を知ったのは、たしか2002年、当時”オン・ザ・エッジ”だった
“ライブドア”が、私の使っていたEudoraというメールソフトを日本で売っていたクニ・リサーチ
という会社と提携したときだった様に思う。
“livedoor”については、無料というビジネスモデルはいかがなものかと思い続けていた私なので、
民事再生手続きをしたと聞いて、「やっぱりな…」といった程度に思っていた気がする。
そして、この”livedoor”を”オン・ザ・エッジ”は買収した。
どちらの会社にもあまり良い印象がなく、大した興味もなかったが、ある時気づくと、”ライブドア”に
社名を変更して、球団を買うとか騒いでいて驚いた。
株は買って運用していたことがあるが、ITバブルが終わってしまい面白くなくなってきたので
当時はすでに株の運用は行っておらず、ただ球団を買えるというほどの事業を行っているように
思えなかった会社が、球団を買うと騒いでいるから、なぜそんなことができるのか不思議で
ならなかった。
で、そのとき、ざっと決算書を見たような気がするのだ。
決算書を見ても、なんでライブドアのビジネスモデルでそんな巨額を捻出することができるのか
分からなかった。そんなにお金になりそうにないことをしてなんであれだけの売り上げと経常利益を
出せるか不思議だった。
唯一考えられたのは、一般投資家がライブドアに過度な期待をして投資をしているからだろうという
結論だけ。
IT関連の事業をしていると、”簡単に儲かるんでしょ”っていうようなことを良く言われるのだが、
それは大間違いだと言いたい。
僕がしている仕事は、システムインテグレータだとか受託開発と呼ばれる仕事なのだが、僕の中では
サービス業と製造業の両方という認識でいる。
お客さんが欲しいというシステムを、お客さんから聞き出して、ソフトを作りコーディネイトするという
仕事なのだ。
これは”実業”であって、一般投資家の期待感を誘導して荒稼ぎする”虚業”とは違うと断言したい。
汗水垂らして、お金を稼いでいるのを楽で儲かる商売みたいに言われると腹が立つのですよ。
堀江さんは、同じIT事業をしている人間として関心しないところも多々あったが正直羨ましいと
思っていた部分もあった。お金を集めるのがうまいなーとも思っていた。
直接的に迷惑したわけではないけれども、疎ましくも思っていた。
だって、彼の存在で僕のなりわいまで誤解されるのだから。
で、そんなライブドアにはいつか限界が訪れるだろうと感じていて、ライブドア関係者以外の親しい人には、
「5年後にないかもよ」とはよく言っていたのだけれども、こんなことになって驚きだ。
しかも、上場していたのに、あんなちょろいごまかしをしていたとは。
マスコミがどうこうだとか言われていて、たしかに僕もマスコミを好かんけれども、マスコミだとか、老害だとか
そんなことを置いておいて、彼の”虚業”がここまで引っ張ってこれて、そして破綻したのに驚きを感じるのだ。
しかしながら、彼の”虚業”がここまで成長できたのは、会社の”中身”も知らずに、理解しようともせずに、
喜んで投資してきた人の存在なんですよね。
人を馬鹿にしたような発言をして申し訳ないが、なんだかとても愚かに思えます。
まだ信じている(信じたいのかな?)人もたくさん居るようですし……
(今となっては事が明らかになったあとなので、後だしジャンケンかよと思う方もいらっしゃると思いますが、
私と直接話したことがある人は上記のような批判を僕がしているのを聞いたことがあるはずです。)
あ、でも、ここまで大きくしてきて、たとえネガティブな騒動でも、こんなことを成し遂げられた”堀江さん”
という人物はすごいと思いますよ。
日本版エンロンを成し遂げたのですから。


蛇足だが、これも自分が感じていることなので。
たしかに仕事をしていると、莫大なキャッシュフローがあれば簡単に解決できそうな問題によくぶち当たるし、
第三者に自分の仕事を企業価値というかたちで評価してもらえるのは張り合いがあることだと思うから、
IPOには魅力を感じる。
さらにはIPOをすれば、自分がいままで自分の会社に投じてきた資金と労力は、上場益で莫大な金額になって
報われる可能性が高い。
お金は人を(ある意味)自由にしてくれる、と私は信じている。
もちろん、お金は万能ではないし、拝金主義者でもないつもりだが、お金があれば自分がしたいことを、
(少なくとも)お金が無いことで制限されることもなくなる。
物欲も満足させられるし、知的好奇心も満たせることもある、行ったことがない、あるいはしたことがないことが
できる。
もちろん、お金を手にすることで失う物も大きいのは分かるのだが。