なんだか考えることが色々あって、無神論者の私なのだけれども、今日、聖書を読んでみたりしている。
宗教って、哲学だったり道徳だったり、人間の生きる指針を長年多くの人が関わって完成度を高めてきているモノの一つだと僕は思っているので、ちょっと読んでみようかな、と。
それに、西洋美術だったり、西洋の考え方って、キリスト教についての知識がないと理解できないものが多いので、教養にもなるかと思ったりもしています。
で、このキリスト最後の言葉を目にして、この言葉は、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになるのですか?」と訳されるみたいなのだけれども、この言葉の解釈も色々あるみたいなのです。そんなことを学んだりしていると面白くて、もっと学んでみたいと思ったり。
人を非難することも、敵を憎むことも、姦淫することもある私なので、きっと天国には行けないですね。人格者への道のりは遠そうです……
人格者になったら人生楽しく感じられるんだろうか。
憎むことや根に持つ事があり、それらの感情と知らないうちに比較してしまう事によって楽しく感じられてる事もある今。
人格者になったら、これらが変化しちゃうのかしらん?
だとしたらちょっぴり怖いなあ〜楽しみやありがたい事を素直に今と同じ大きさで感じられるのかなあ。
とはいいつつも、人格者になる階段が高すぎて足先すらかけられない私ですが。
哲学的なコトって一応知っといた方がいいよね。あたしはそーゆーの好きで陽明学とかも若い頃は迷い込んだよ。
でも頭で理解しても行動、経験に勝るもんがなくて、最近は逆に小学校に学んだコトや両親の教えに励んでるよ。
あたしの神は未来の旦那様と決めてます。